ロマン・ロランと生きる

フランスの作家ロマン・ロラン(1866~1944)に関する情報を発信するブログです。戦中・戦後の混乱期に幼年時代を過ごした人々の間では、ロランは必読書だったそうです。人生の師と仰ぐ人も少なくありません。現代の若者にはあまり読まれていないようですが、ロランと同じ精神の家系に属している人は少なからずいるはず。本ブログがロランの精神的兄弟たちを結び付ける場になれば幸いです。

アンドレ・モロワ自筆原稿【2】ロマン・ロランの手紙②


高貴で悲劇的な友情

ルイ・ジレとロマン・ロランの往復書簡は、
2人の偉大な人物と偉大な心情との素晴らしい物語だ。
それは友愛と人間性の教えとなり、希望となるだろう。


フランスの作家アンドレ・モロワの自筆原稿である。カイエ・ロマン・ロランの第2巻『ルイ・ジレ=ロマン・ロラン往復書簡』(アルバン・ミシェル社、1949年刊)の書評で、「文学についての語録 高貴で悲劇的な友情」と題されている。モロワが所有していた同書に挟み込まれていた(同書の邦訳は、みすず書房ロマン・ロラン全集』の第32巻に収録されている)。

【意訳「高貴で悲劇的な友情」】
ルイ・ジレとロマン・ロランの往復書簡について、ポール・クローデルは序文に書いている。

「ジャック・リヴィエールとアラン=フールニエとのあいだに交わされた書簡の刊行以後、私の知るかぎりでこれはもっとも美しい、もっとも感動的な書簡集であるが、そこには一通の手紙が欠けている。ただ一通、最後の手紙が。読者の心のなかに末永く響き続けるであろうこの二つの偉大な声の対話を、墓の彼方から完成させるはずの手紙が」


この往復書簡集によって2人の心の奥底を読み取り、私たちが愛している作品以上に彼らの人間性に偉大さを見いだすことは、とても素晴らしいことである。

ロマン・ロランとルイ・ジレは、互いに非常に異なっていた。ルイ・ジレは熱烈で信仰に篤いカトリックの戦士であり、ほとばしる情熱をもって攻め込むように書いた。彼の両親は倫理的にも身体的にも驚くほどの厳しさの持ち主で、市井にあって彼らの世紀に誕生したすべての政府と暴動を見ていた。ルイ・ジレ自身も民衆のそばに自分を感じていた。

一方、ロマン・ロランはルイ・ジレより複雑で、精神においては貴族であり、情熱の点では革命家であった。彼もカトリックではあったが彼なりの信仰を持ち、清教徒的な部分もあった。

彼らの友情は尊敬の念と美に対する共通の情熱に基づいていた。しかし、彼らの交友には初めから影があった。愛はあっても相互の理解に欠けるところがあったのだ。ロマン・ロランはクリストフとオリヴィエであった。クリストフはルイ・ジレについて行くことができたが、オリヴィエは消極的だった。

本書の扉にはロマン・ロランの妻マリー・ロランと
ルイ・ジレの妻シュザンヌ・ジレの署名が入っていた

1914年に戦争が勃発すると、ルイ・ジレはフランスの正当性を確信して国土防衛軍に参加した。ルイはロランに書く。

「あなたは何をお望みなのですか? ドイツは力を濫用しました。致命的な諸力を鎖から解き放ちました。私たちは地震を祓い遠ざけること以上に、その力を押しとどめることが難しいでしょう。精神錯乱の帝国が好んで引き起こした動乱の進行を阻むことは、この世の誰の手にも委ねられていません」

スイスのジュネーヴにとどまり、国際赤十字の後援で設立された「国際俘虜事務局」で働いていたロマン・ロランは、イエスの「剣を用いる者は剣によって滅びるだろう」という言葉を引いて友を非難する。これに答えてジレは言った。

「でも誰が剣を抜いたのですか?」「世界を遮り、スラヴ人をアジアに押し返そうとするドイツの柵が見えます。しかし、幾世紀もの崇高な流れに抗えるとは思いません。ピョートル大帝の広大な創造はフリードリッヒのプロシアの小さな兵舎に打ち勝つでしょう。あそこには、地獄と草原から現れ出て、生きることを求めている一世界があります。それを虚無のなかに押し返すことはできないでしょう。われわれはその出産を助けているのです」

ロマン・ロランは答えた。

「フランスとロシアの間に、緩衝装置の役に立つドイツが存在しなくなるなどと考えると残念に思われます。私はアメリカに旅立つかもしれません」

モロワの蔵書票が貼られている

破局は避けられなかったが、善良な2人は互いを否定することなく別れねばならなかった。最後の手紙(1915年6月25日付)でルイ・ジレは再び言う。

「私は意見なり感情なりをあなたと異にすることができます。皆と同じように、私は間違うことができ、誤ることができます。あなたは私が想い出すのをも、二十年間の友情にたいしてやさしい、かわらぬ心をもちつづけるのをも、お妨げになることはできません」

この手紙にロマン・ロランは返事を送らず、以後27年間にわたり2人は一切の関係を断った。1942年、彼らの和解を成立させたのはポール・クローデルだった。この詩人は友情のドラマというものが、愛情のそれと同じ痛みを伴うことがあることを理解していたのだ。そして長年の隔たりがありながら、2人の関係は急速に回復した。ロマン・ロランは書く。

「親愛なルイ――道の涯てまできて、失った友に再会できるのであれば、長生きする甲斐もあるというものです」

ロマン・ロランは空しくも、疲労と衰弱から死に瀕していた友をこの世に引き止めようと力を尽くした。彼は再び友を見いだし、認める中で優しく接した。

ルイ・ジレとロマン・ロランの往復書簡は、2人の偉大な人物と偉大な心情との素晴らしい物語だ。彼らの例は今日未だに別離を余儀なくされている多くの友人たちにとって友愛と人間性の教えとなり、希望となるだろう。

※手紙の引用は、みすず書房ロマン・ロラン全集【32】』所収「ルイ・ジレ=ロマン・ロラン往復書簡」清水茂訳によった