ロマン・ロランと生きる

フランスの作家ロマン・ロラン(1866~1944)に関する情報を発信するブログです。戦中・戦後の混乱期に幼年時代を過ごした人々の間では、ロランは必読書だったそうです。人生の師と仰ぐ人も少なくありません。現代の若者にはあまり読まれていないようですが、ロランと同じ精神の家系に属している人は少なからずいるはず。本ブログがロランの精神的兄弟たちを結び付ける場になれば幸いです。

講演会開催「ユニテと共同出生」 ― ロランとクローデル

ロマン・ロラン研究所(京都市左京区)は10月20日(土)、アンスティチュ・フランセ関西 稲畑ホールで講演会を開催する。テーマは「ユニテと共同出生」ロマン・ロランの「ユニテ」と、ポール・クローデルの「共同出生」に焦点を当てながら、今年生誕150年を迎えるクローデルの日本滞在を中心に話を進める。聴講無料。日本語のみ。問い合わせはロマン・ロラン研究所まで。

【日時】10月20日(土)14:00~15:30 ※入場無料
【主催】ロマン・ロラン研究所(電話 075-771-3281)


ロマン・ロラン自筆書簡【15】再婚報告


晩年の再婚

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あなたにお知らせしたいことがあります。
驚かせてしまうでしょうが、私の再婚についてです
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フランスの作家ロマン・ロランの自筆書簡である。スイスのヴィルヌーヴで書かれたもので、1934年5月7日付。パリの Paul Mulon 博士に、自身の再婚について報告している。このときロランは68歳、再婚相手のマリー・クーダチェフは39歳(ロランの初婚についてはこちら)。

マリーの父親はロシア軍将校、母親はフランス公爵家の家庭教師だった。マリーの最初の夫クーダチェフ公爵は、ロシア軍将校として従軍の末、幼い息子セルゲイを残して病死した(再婚によりセルゲイはロランの息子となるが、ナチスとの戦いで亡くなる)。ロランの人生においてマリーとの再婚は、ソ連との関わりという点でも重要な出来事だった(関連記事はこちらこちら)。

ロランの死後、マリーはロランの日記や書簡類を「カイエ・ロマン・ロラン」として刊行した。1968年には「ロマン・ロラン展」(主催=読売新聞社)に合わせて来日。亡くなったのは1985年で、つい最近のことのように思える。「カイエ・ロマン・ロラン」はマリーの死後も刊行が続けられ、1996年に第30巻が出た。

【書簡本文】
あなたにお知らせしたいことがあります。
驚かせてしまうでしょうが、私の再婚についてです
――善を成すのに遅すぎるということはない――
私は数年来の友人であり、
私の仕事を献身的に支えてくれた
マリー・クーダチェフ夫人と再婚しました。
彼女の母親はフランス人で、
1920年にコーカサスの内乱で亡くなった
クーダチェフ公爵の未亡人です。
彼女は一人、幼い息子を抱えて、
内戦の過酷な期間を勇敢に生き抜いてきました。
この子は現在17歳になり、
熱意と知性をもってモスクワ大学で学んでいます
(彼は航空力学に携わりたいと願っています)。
私の妻も非常に勤勉です。庭いじりをすることで、
事務仕事の気晴らしをしています。

あなたと妹さんに
彼女を紹介できる日が来ることを楽しみにしています。
妹さんにはあなたから、友情の思い出とともに
この知らせを伝えてください。
マドレーヌ(※ロランの妹)は
あなたたちに再会できて喜んでいました。
私も同行したかったよ。

愛情を込めてあなたの手を握ります。
あなたの忠実な古い友