ロマン・ロランと生きる

フランスの作家ロマン・ロラン(1866~1944)に関する情報を発信するブログです。戦中・戦後の混乱期に幼年時代を過ごした人々の間では、ロランは必読書だったそうです。人生の師と仰ぐ人も少なくありません。現代の若者にはあまり読まれていないようですが、ロランと同じ精神の家系に属している人は少なからずいるはず。本ブログがロランの精神的兄弟たちを結び付ける場になれば幸いです。

アンリ・マシス自筆書簡【1】



R・ロラン氏のものを再読する必要もありましたが、
私にはその勇気がありませんでした


フランスの評論家アンリ・マシス(1886~1970)の自筆書簡である。いつ・誰に宛てて書かれたものかは不明。具体的な事情は分からないが、ロマン・ロランに関する言及がある。

ロマン・ロラン氏に関しては、あなたの言う通りです。
私はこの古い記事を紹介することを
10年間にわたりためらってきました。
その原稿はもう一度やり直す必要があったし、
R・ロラン氏のものを再読する必要もありましたが、
私にはその勇気がありませんでした」

マシスは第一次世界大戦中の1915年、欧州の調和を訴えるロランを攻撃する小冊子「フランスに反対するロマン・ロラン」を出した。ロランの論文等を引用しながら、〝フランス人の兄弟たちが戦場で死んでいるのに、ロラン氏は自分の良心を満足させるためにスイスへ逃れている。あまりにも寛大な魂を宿しているので、祖国だけを愛することができないのだ〟といった調子で批判した。小冊子を受け取ったロランは次のように日記に書き記している。

「フランスのカピュシーヌ出版社で発行されたマシスの小冊子
『フランスに反対するロマン・ロラン』を、やっと受け取る。
それはじつにひどい誤りのある、出来そこないのパンフレットだ。
表紙の表題の下に、ある思想(アルベール・ギノン!)が記されているが、
これはすでに、もっとも好意ある読者をもギョッと驚かせたに違いない。
すなわち――『戦争中、人類にあたえられる愛はすべて、
祖国からぬすんだ愛である。』」(1915年7月の日記)※1

マシスの小冊子「フランスに反対するロマン・ロラン」(筆者所有)

マシスの小冊子には、注目すべき点もあった。それは、ロランの論文「戦いを超えて」をほぼ全文収録したことだ。フランス国内では検閲や報道規制が厳しく、マシスの小冊子で初めてロランの論文を読んだ人も少なくなかった。小説『チボー家の人々』で知られる作家ロジェ・マルタン・デュ・ガールもその一人で、ロラン宛の手紙に次のように綴っている。

「私は何も知らず、
1914年9月のあなたの論文を
一行も読んだことがありませんでした。
そしてこの小冊子が、今朝、私に届いたのです。
私はマシスの論文に目を通し、あなたのものに急ぎました。
……ああ、ついに、ついに、呼吸しうるなんという一陣の空気! 
それによって私は一変し、若がえり、
かつてなかったほど未来を生きることを渇望しているのです!」
(1915年8月25日付)※2

マシスの小冊子も発行から2カ月あまりで流通を差し止められたみすず書房ロマン・ロラン全集【28】』P535)。ロランはマシスに直接反論するようなことはなかったが、ある手紙に次のように書いている。

「マシスの《低劣な攻撃》に抗議して
何の役に立つでしょうか?(中略)
彼の攻撃はあなたの友人たちのそれよりも、
誠実な敵手の攻撃であるという点ですぐれています。
その血まみれな小冊子に私の主要論文を変形することなく発表した敵を、
私は尊敬するのです。私の敵手のうち他にだれ一人として、
私に対してかかる正真な武器を使いませんでした」
(セアイユ宛の手紙 1915年10月26日付)※3

小冊子に書き込まれたマシスの献辞

友人たちが殺し合いを始め、大切な人を失う人が日々増えていくのに、戦場から遠く離れた安全な場所で戦争反対を唱えるのは臆病者か卑怯者に過ぎないといった批判は、もっともらしく聞こえる。戦いが始まってしまった以上、苦しみと悲しみを最小限に抑える最良の方法は、敵を滅ぼすことだという理屈もそれらしく響く。殺し合いが始まってからの反戦では遅いのだ。

今年(2016年)、日本は戦争ができる国となる。日々、狂気の芽を摘んで歩かなければならない。

※1 みすず書房ロマン・ロラン全種【27】』所収「戦時の日記Ⅰ」宮本正清ほか訳 P444
※2 みすず書房ロマン・ロラン全集【28】』所収「戦時の日記Ⅱ」宮本正清ほか訳 P510
※3 同上 P567