ロマン・ロランと生きる

フランスの作家ロマン・ロラン(1866~1944)に関する情報を発信するブログです。戦中・戦後の混乱期に幼年時代を過ごした人々の間では、ロランは必読書だったそうです。人生の師と仰ぐ人も少なくありません。現代の若者にはあまり読まれていないようですが、ロランと同じ精神の家系に属している人は少なからずいるはず。本ブログがロランの精神的兄弟たちを結び付ける場になれば幸いです。

南大路振一訳『ロラン=マルヴィーダ往復書簡』みすず書房


世代も性別も国籍も超えた魂の交流

あなたは若いのです。
戦いは必ずやって来るでしょう。
人生は高貴な魂をもって前進する者には
戦いを免除しません
(ロラン宛のマルヴィーダの手紙から P56)


『ロラン=マルヴィーダ往復書簡』は、フランスの作家ロマン・ロランとドイツの女流作家マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークの往復書簡集である。1890年3月から1891年8月の間に交わされた約140通を収録している。

1890年当時、ロランは24歳。エコール・ノルマル(フランス国立高等師範学校)を卒業し、歴史研究者としてイタリアに官費留学する。そこで出会ったのがマルヴィーダだ。

ロランが当時使っていたと思われる名刺。封筒にロランの自筆で
「マルヴィーダ・V・マイゼンブーク」と書き入れがある(筆者所有)

マルヴィーダは女性の地位向上のために運動し、そのために亡命を余儀なくされた。自殺を思う日々もあったが、彼女の周囲には哲学者ニーチェや音楽家ワーグナー、革命家マッツィーニなどが集い、新しい時代を告げる先駆者たちのサロンが形成されていった。

ロランが出会ったとき、マルヴィーダは74歳。ローマのコロッセオにほど近い、ポルヴェリエーラ通り(Via della Polveriera)に暮らしていた。

マルヴィーダが暮らしたポルヴェリエーラ通り(2010年・筆者撮影)

ロランはローマに滞在した約2年間、毎日のようにマルヴィーダを訪ねた。彼女が語る19世紀の偉人たちの追憶は、彼に生きる意味を教えた。それは、人生の真実に迫る「勇気をまなぶ偉大な学校」だったとロランは述懐している。

一方、マルヴィーダはロランの本質をよく理解し、「第二の母」(ロラン)として進むべき道へ彼を促し、励まし、導いた。ロラン宛の手紙には、老婦人の慈愛があふれている。

「あなたは偉大な詩人です。
このことを言う最初の者である仕合わせを
どうか私に与えて下さい(中略)
深い苦しみからいつでも
偉大な詩作品は生まれたのです」(P210)

「私はこの世界のすべてのことよりも、
あなたのことを考えます。そして、
あなたに成長の全き自由を与えるために
最善、最上と思われることを
あなたのためにして上げたいのです」(P251)

「あなたの道には、他の人びとの道より
多くの苦難と失望が待ち受けていることを、
私は少しも隠そうとは思いません。
もしあなたが別の人間なら、
私はあなたに言うことでしょう、
『大勢の人がゆく広い路を選びなさい』と。
しかしあなたはあなたなのですから、
私は言うのです――
『少数の人がゆく、石だらけで骨の折れる、
しかしそれだけが高みへと導く
狭い道を取りなさい。』」(P271)

「あなたの芸術については、
私の信念はゆるぎません。
私はあなた以上にあなたの芸術を信じます」(P277)

1903年にマルヴィーダの死によって交流が断たれるまで、2人は1200通を超える手紙をやり取りしたという。ロランは1916年、ノーベル文学賞を受けた。人生を導く「師」と呼べる人物に恵まれた人は幸福だ。

マルヴィーダの墓。ローマ市内の
カトリック教徒墓地にある(2010年・筆者撮影)