ロマン・ロランと生きる

フランスの作家ロマン・ロラン(1866~1944)に関する情報を発信するブログです。戦中・戦後の混乱期に幼年時代を過ごした人々の間では、ロランは必読書だったそうです。人生の師と仰ぐ人も少なくありません。現代の若者にはあまり読まれていないようですが、ロランと同じ精神の家系に属している人は少なからずいるはず。本ブログがロランの精神的兄弟たちを結び付ける場になれば幸いです。

『ロマン・ロラン全集【26】日記Ⅰ』みすず書房


若き日の日記と記録

自分がもはや誰かの生徒でなくなり、
他人の思想ではもはや満足できず、
自由に、完全に自己であろうと欲するときには、
理解されなくても不平を言ってはならない(中略)
行動したまえ、君の内部にまどろんでいる世界を実現したまえ。
君が強く感じていることを、他の人々に感じさせてやりたまえ。
そうすれば、君のまわりには
熱烈な愛の火ともいうべきものが生まれるだろう
(級友シュアレスへの手紙から・P212)


みすず書房ロマン・ロラン全集』の第26巻は1885~1913年、ロランが19~47歳の間に記した日記・記録を集めている。具体的な収録内容は次の通り。

①蛯原徳夫訳「ユゴーの死 ほか(1885)」
②蛯原徳夫・波多野茂弥訳「ユルム街の僧院(エコール・ノルマル当時の日記:1886~1889)」
③山口三夫訳「ドイツ旅行・イギリス旅行 ほか(1897~1906)」
④蛯原徳夫訳「スペイン旅行(1907)」
⑤山口三夫訳「『ジャン=クリストフ』から『コラ・ブルニョン』へ(1912~1913)」

多くの若者と同様、若きロランは自分自身を見つめ、進むべき方向を見定めながら一歩ずつ足を運ぶ。後年の精神的巨人のイメージとは異なる、初々しいロランの姿には親近感を覚える。ロランを敬愛する人々にとって、「ロラン全集のなかでもとりわけ格別な、意味ふかい巻であるといえよう」(蛯原徳夫「あとがき」・P507)

【「ユルム街の僧院」から
「祖国といえども、ぼくに、
ぼくが黒いと思っているものを白いと言わせたり、
つまらない音楽を立派だと言わせるようなことは、
決してなしえないだろう」(P129)

「芸術は死の死なのです(中略)
私は芸術を熱愛していますが、
それは芸術が私のみじめな取るに足らぬ個人性をうち砕くからであり、
私を永遠の生命に結合させるからです」
トルストイへの手紙から・P170
トルストイはこのロランの手紙に約30ページの返事を書いた)

「史上の人物をよく理解し、よく描く唯一の方法、
それは彼らを愛することだ(中略)
歴史家たる者は、彼がその魂を娶る人々の
あらゆる自己愛(エゴイズム)で
彼の心情をいっぱいにするだけの、
至高の共感力をそなえていなければならぬ」(P188)

「ぼくは自分の非社交性に苦しんでいる。
ぼくは自分が思っていることを言うためにしか
話す術を知らないらしい」(P194)

「飾らず、気負わずに自己であるためには、
時として真の勇気が必要である」(P206)

「三十五歳でぼくは、
自分の生活や作品の主要なものをなしとげている、
ということが必要だ。三十五歳でぼくは、
自分の生命がもっている火を引き出すことができなかったといって
嘆くことなく、死ねなければならない」
(P228 ※ロランは38歳から
代表作『ジャン=クリストフ』を発表し始めた)

「ぼくはいつも心の奥底に、
わがフランスに対する尊敬と誇りとの感情をもっている」
(P235)

「ぼくにとって魂の自由こそ、
この世のなによりも貴重なものだ。
ぼくは自分の魂を見いだす。
そしてそれで他の人びとの魂をみたす。
他の人びとを不滅にしてやりたいと思う。
ぼくに生きた『神』を吹きこんだところのものを、
他の人びとの魂にも移し入れたいと思う」(P243)

「おそらく母はいちばんぼくを『感じ』とっている女性だ。
ぼくを理解しているというのではない。
深くぼくを愛しているので、
時にはぼくの感じているものを直観するのだ」(P246)

「ぼくは暗い山のなかを歩きまわる。
ぼくは自分自身をはっきり見て、作品を創作しようとする。
しかしいつもきまって、『何のために?』にぶつかる。
自分に小説が書けるから、小説を書こうとするのか。
書くということが、そんなに望ましいことだろうか(中略)
ぼくが創作しようとする勇気や意志をおこすのは、
ただ、ぼくの生をさらに増進させ、
また他人の生をも増進させようと望むからだ(中略)
ぼくは来たるべきものへの道を坦(な)らすのだ。
ぼくはやがて襲ってくる避けられない思想に対して、
人びとの魂に用意をさせる(中略)
ぼくは民衆のために働く。
しかし民衆はぼくを理解しないだろう」
(P257 ※将来を予見するような言葉だ)

「ぼくの願い――
一、偉大な信仰者になること。
二、大きな愛を他人にも伝えること。
三、生活と思想との絶対的な自由」
(P271 ※ロランはこの願いに生涯忠実だった)

「ぼくはやがて全世界を包含する
未来の理想的共和国を信じる」(P297)

ヴィクトル・ユゴーモーパッサントルストイが、
戦争に反対して語っている。語るだけでは足りない。
もろもろの力を結集し、必要に応じて武装した同盟を結び、
平和を押しつけることが必要であろう。
未来の『世界共和国』の名において、
『理性』の名において、『愛』の名において、
『憎しみ』とそれによって生きる者たちを、
押し殺さねばならない。人は殺人者をギロチンにかける。
では、民衆の殺人者はなにに価(あた)いするか。
――ユゴーは「『戦争』の名誉を失墜させよ」と言った。
――そうだ。しかしそれ以上にしよう。
『戦争』を殺そう」(P303)

【「『ジャン=クリストフ』から『コラ・ブルニョン』へ」から】
「現在、この画家(クロード・モネ)に反対して
言われているのを聞くいっさいのことも、
私の賞賛に対しては何もできない。
私はかれを、明確な風景のふるえるレアリスムから、
光の純粋な夢へたえず高まって行く、
フランス絵画最大の詩人とみなす。
一種のシェイクスピアもしくはシェリーだ。
かれは生の一瞬間に永遠性を置き、
生の支配者たるかれは、
ついには生をもって東方の夢のような幻覚的な、眩惑的な、
目くるめく詩を創造するにいたる」(P432)

「真の無関心とは、大部分の人たちが
友情の名で飾り立てているもので、
それはぼくの望まないものだ」(P439)

「私に会いに来てくれたライナー・マリア・リルケを訪問する。
かれはカンパーニュ=プルミエール街十七番地、
私の家のすぐ脇に住んでいる
――通廊は閉じられて――アトリエがたくさんあるが。
四階の、窓が右手に私と同じ庭にのぞんでいる仕事場。
机と椅子がいくつか、たくさんの本のほか、何も家具がなく、
空間と光しかない。一時間にわたる友情のこもった談話。
リルケは(ツヴァイクのかれに関する意見にもかかわらず)
長い間おだやかにしゃべるのが好きなように
私には思われる」(P471)

リルケは素朴な作品からはじめ、
次いで、厳しい執拗な修練のおかげで、
かれは高まることをやめなかった。
かれは仕事と取り組んで孤独に、
僧侶のような生活をしている。
結婚して子供が一人あるが、
決してドイツにいる妻にも子供にも会わない。
かれはごくわずかしか本を読まない。
自分の作品に苦労し、そして芸術において進めば進むほど、
ますます彼は苦労する」(P477)

「齢を重ね仕事においても前進をつづけるにつれて、
世の人々がどれほど哀れなわずかな額の真理で
満足しているかを、私は見るのです(中略)
大部分の作家は、真理を煎じて甘い砂糖水を付加した
当り障りのないものしか与えません(中略)
最大の芸術家たちもあえて奥底まで行くことが容易にはできません。
ときどき、かれらは窓を半開きにし、
それからまた急いで閉めるのです――
というのも、まばゆい光は大部分の人たちの目を痛め、
かれらはこれはけしからんと非難の叫びを上げるからです。
私はこの非難の危険をおかしたい(中略)
私は今では『ジャン=クリストフ』は
十分に前進しなかったという感じがしています。
私はもはやこれに満足しないでしょうし、
私はこれに苦痛を感じるでしょう――
なぜなら大衆は(この作品を理解していないのですが)
これに満足してしまったからであり、
かれらは決して私については来ないでしょうから(中略)
もし私が小説を書きつづけるのならば、
私はもっと前進して行くべきであり、
さもなければやめるべきです」(ある女友達への手紙から・P502)